ダンモ研と私

中村繁男 (1961, 63卒)

ことの始まりは私が昭和32年早大理工学部鉱山科へ入学して1週間後にテナーサックスを買わされ、同時にモダンジャズ研究会の創立メンバーに組み入れられてしまったのである。なぜそういうことになったのか、それは創始者の下谷実との交友関係に起因しているのでそこから話をはじめたい。

彼とは小、中学校の同級生で、彼は早稲田高等学院、私は早稲田高校へと親の教育方針の違いから別の学校へ進学したのであるが、たまたま小学校の同級会があり、彼がJAZZに夢中で、LPの輸入盤を沢山持っていることを知り、進駐軍放送でしかJAZZを聞けなかった私は誘われるままに彼の家へ遊びに行き、そこでJAZZの虜になってしまったのである。

ほとんど毎日曜日になると朝8時頃から夜10時まで彼がサイホンで淹れたコーヒーを飲みながら昼、夕食付きで、ぶっ続けに30枚ぐらいのLPを聞くのである。その姿を想像してみてください、今で言うオタクのはしりだったのである。そしてレコードの中にはスタン・ゲッツあり、所謂ブルース系と全く違う新しいJAZZを聴いた時の驚きは今でも鮮明に覚えている。

これはなんだということでいろいろ調べたところウエストコーストJAZZといってどうもモダンジャズらしいということがわかった。その後、ソニー・ロリンズ、マイルス・デビス、セロニアス・モンク、チャーリー・パーカーのLPが入り、モダンJAZZはイーストだいやウエストだと議論したのを覚えている。

そういう状態だったから受験も失敗し、下谷は先に入学して何かJAZZの活動をしていたということで私の入学を待っていてくれたのであるが一浪も失敗してしまった。下谷からはJAZZ禁止令が出され、入学するまではつき合わないと宣告されてしまったのであるがニ浪後にやっと入学して、前述のごとくなったのである。