ダンモ研と私

2001-12-18

中村繁男 (1961, 63卒)

ことの始まりは昭和32年、私が早大理工学部鉱山科へ入学して1週間後にテナー・サックスを買わされ、同時にモダンジャズ研究会の創立メンバーに組み入れられてしまった時である。なぜそういうことになったのか、それは創始者の下谷実との交友関係に起因しているので、そこから話を始めたい。

彼とは小・中学校の同級生で、彼は早稲田高等学院、私は早稲田高校へと親の教育方針の違いから別の学校へ進学したのであるが、たまたま小学校の同級会があり、彼がジャズに夢中で、LPレコードの輸入盤を沢山持っていることを知り、進駐軍放送でしかジャズを聴けなかった私は、誘われるままに彼の家へ遊びに行き、そこでジャズの虜になってしまったのである。

ほとんど毎日曜日、朝8時頃から夜10時まで彼がサイホンで淹れたコーヒーを飲みながら昼・夕食付きで、ぶっ続けに30枚ぐらいのLPを聞くのである。その姿を想像してみてください、今で言うオタクのはしりだったのである。そしてレコードの中にはスタン・ゲッツあり、所謂ブルース系と全く違う新しいジャズを聴いた時の驚きは、今でも鮮明に覚えている。

これはなんだ――ということで、いろいろ調べたところ、"ウエストコースト・ジャズ" といって、どうやらこれが "モダン・ジャズ" というものらしい、ということがわかった。その後、ソニー・ロリンズ、マイルス・デビス、セロニアス・モンク、チャーリー・パーカーのLPが入り、「モダン・ジャズはイーストだ」「いやウエストだ」と議論したのを覚えている。

そういう状態だったから受験も失敗し、下谷は先に入学して何かジャズの活動をしていたということで、私の入学を待っていてくれたのであるが、一浪も失敗してしまった。下谷からは "ジャズ禁止令" が出され、入学するまではつき合わないと宣告されてしまったのであるが、ニ浪後にやっと入学して、前述のごとくなったのである。