7/17 John Coltraneの命日に

2012-07-15

7月17日は40歳の若さで亡くなったテナーの聖人John Coltraneの命日です。亡くなられた1967年の前の年に実現した日本ツアー、大学のジャズ研として初めての "単独インタビュー" に臨んだ、68年卒・観賞部・部長の前田連望さんに、当時を偲んで書き物をお寄せ頂きました。


コルトレーンのLive in Japan 1966年7月11日。当時大学3年生の僕の、21歳の誕生日だった。東京サンケイホールは空席が目立つ入りだった。ジャズ界の最先端を走るジョン・コルトレーンのコンサートといえば、熱狂的なファンが大勢つめかけると予想していた僕には意外だった。来日のメンバーは全く新しく、エルビン・ジョーンズの後にラシッド・アリ、マッコイ・タイナーの後にアリス・コルトレーン、加えてテナーのファラオ・サンダーズ。ベースだけがジミー・ギャリソンで変わらなかった。黄金のクワルテットを期待していた僕には、余りにもインパクトが強かった。ガツンと頭をたたかれ、今まで持っていたイメージを粉々に砕かれた。コルトレーンのわな泣きに、僕は体を震わせ、自我を解放し、それまでには感じたことのないエクスタシーと、コルトレーン・ミュージックを独り占めしている喜びに酔いしれた。「これがジャズなのか‥?」「いやいやこれこそジャズの第二の革命」と評価が割れても、コルトレーン教の信者たちは支持し続けたのだが、翌年1967年7月40歳で帰らぬ人となってしまった。

ジャズの第一革命をチャーリー・パーカーとすれば、第二革命はコルトレーン。ビバップの時代、誰もが「パーカーのように演奏したい」と、パーカーを目指した。パーカーを乗り越えたのは、モンクとマイルスとコルトレーンの3人だった。モンクはピアノ界の異端児、モンクのような演奏をしようとチャレジしても誰もモンクのようにはできなかった。しかしモンクが残した名曲の数々は多くのミュージシャンが取り上げる。マイルスも不思議だ。マイルスの音楽的取り組みは今思えばかなり画期的なことをやっている。色々な影響を与えてきた偉人には違いない。しかし、その演奏をまねたのはウォーレス・ルーニーだけ。コルトレーンはパーカーを完全に越え、現代のジャズの土台になっている。皆、コルトレーンのように演奏したいと願い、コルトレーンのような演奏をし、皆がコルトレーン風になった。しかし、コルトレーンのようにバラードを吹き、コルトレーンのように "至上の愛" を奏でられる者は現れなかった。